地域活動報告


5月27日 八王子市赤十字奉仕団総会

  • 赤十字奉仕団は、赤十字の博愛人道の精神に基づき、明るい住みよい社会をきずきあげていくために必要な実際的事業に奉仕すると団の目的をうたっています。
  • 国際赤十字の成り立ちスイス人の実業家アンリー・デュナンは1859年イタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで悲惨なありさまを目の当たりにしました。デュナンは放置されていた負傷者の救護活動にあたりました。「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない」ジュネーブに戻ったデュナンは、この戦闘の模様を『ソルフェリーノの思い出』に著し、この中で国際的な救護団体の必要性について訴えました。この本はヨーロッパ各国に大きな反響を呼び、1864年にはジュネーブ条約が調印されて、国際赤十字組織が誕生しました。日本赤十字社は、日本赤十字社法に基づいて設置された認可法人です。
    日本赤十字社は、佐野常民や大給恒らによって1877年(明治10年)に創立された博愛社がその前身となっています。
    日本赤十字の誕生1877年(明治10年)に起こった西南戦争により、官軍と薩摩軍の間で激しい戦いが繰り広げられ、激戦地では多数の死傷者を出しました。この悲惨な状況に対して、佐野常民や大給恒は救護団体による戦争時の傷病者救護の必要性を痛感しました。このわずか10年前の1867年(慶応3年)、佐賀藩主の命によりパリ万国博覧会に参加した佐野常民は、赤十字展示館を見学し、ヨーロッパに国際条約(ジュネーブ条約)に基づいて、敵味方の区別なく戦時に負傷者を救護する赤十字があることを知りました。
    1877年(明治10年)に佐野常民、大給恒は、官軍の征討総督であった有栖川宮熾仁親王殿下に救護団体「博愛社」の設立を願い出、「博愛社」の設立が許可されました。
    1886年(明治19年)に日本政府がジュネーブ条約に加入したのをきっかけとして、1887年(明治20年)に社名を「日本赤十字社」と変更し、同年9月2日に赤十字国際委員会から国際赤十字の一員として正式に承認されました。
    1952年(昭和27年)、政府は日本赤十字社が国際的、中立的な人道機関として発展させることが重要であるとして、「日本赤十字社法」を制定しました。
    八王子市赤十字奉仕団団員の信条 
    1.すべての人びとの人のしあわせをねがい、陰の力となって、人びとに奉仕すること。
    1. 常に、くふうして人びとのために、よりよい奉仕ができるように努める。
    1. 身近な奉仕をひろげ、すべての人びと手をつないで、世界の平和につくす。
  • 主な活動内容活動資金(社資)の募集に関する活動・災害時の救護活動救命救急法(AED等)の普及啓発・献血の推進活動福祉施設での社会奉仕活動・市防災訓練への参加等があります。
  • 奉仕団は、広報部、救護部、献血部、青少年部、健康福祉部、裁縫部の核専門部があります。また、地域的に小門分団、台町分団、上野町分団、元横山分団、大和田分団、めじろ台分団、浅川分団、万町分団、旭町分団、元八王子分団、片倉分団、片倉台分団があり、年間を通して活動をしています。
  • 事業会計を見てみますと、収入は年間1,641,914円、支出は1,252,889円でありました。収入は、年間1回、市民や事業所にお願いしている寄付金の一部が活動助成金として活動資金となっています。

5月12日 ダンススポーツ大会及び学生天国

  • 八王子市ダンススポーツ連盟が開催しました「第29回東京多摩南ブロックダンススポーツ大会及び第31回八王子市ダンススポーツ大会」が5月12日にエスフォルタ八王子で盛大に開かれました。開会式は、当連盟会長の原田喜平さんの挨拶に続き、八王子市ダンススポーツ連盟の顧問の八木下も開会式で参加者にあいさつをしました。
  • 学生天国は、八王子学生委員会設立10周年記念として2005年にスタートし、今年で14回目を迎えました。学園都市八王子における学生同士の幅広い交流、学生と市民との交流を目的としたイベントになります。大学コンソーシアム八王子に加盟する25大学等にはそれぞれの個性があり、その魅力を発信する機会もこのイベントにはあります。
  • 八木下てるいちの母校「桜美林大学」もこのイベントに参加しています。

5月11日 八王子市総合水防訓練

  • 元本郷町の八王子市庁舎前河川敷広場で八王子市消防署・第九本部ハイパーレスキュー隊・八王子市消防団・市役所・八王子女性防火協会・八王子消防少年団・八王子市赤十字奉仕団・八王子消防ボランティア・元本郷なごみ会自主防災会・東京都南多摩西部建設事務所・陸上自衛隊第一施設大隊・八王子、高尾、南大沢警察署のみなさんおよぞ400名で訓練が行われました。
  • 訓練の想定は、集中豪雨による河川の氾濫及び市街地における大規模な水災害発生を想定し、関係機関や組織が協力して、各種水防工法や救出救助活動等、総合的な水防活動わ行いました。

5月3日 打越弁財天例祭

  • 打越弁財天は、梅洞寺塔頭の一つである輝西軒に由来する。輝西軒は、梅洞寺第五世水月青公和尚を開山として建立され、弁天堂の開創は天正年間(1573~91)と推定される。かって八王子は織物の街として養蚕業が栄えていた。養蚕が盛んな市内各地では、丹精こめて育てた繭をねずみに荒らされ困ることから、ねずみを退治してくれる「白蛇」を御神体とした弁財天信仰が盛んになった。その中でも打越弁財天は、鑓水より始まる絹の道(シルクロード)に最も近く、関東近県より大勢の信仰を集めていた。江戸中期より、例年八十八夜の日に大祭が行われ、十二年に一度の「巳年」には、霊験あらたかな秘仏弁天さまがご開帳された。養蚕が盛んな頃は、六間×五間の大きな御堂での盛大な開帳特別祈祷が行われ、各地から数千人の信者が訪れたといわれる。
  • 昭和五十九年、十六号バイパスの開通に伴い一部境内地が削られたため、昭和六十二年に御堂が債権された。昭和六十年には、伝統由緒ある打越弁財天を守らんと保存会が結成され、商売繁盛・家内安全を祈願する弁天さまとして護持発展にあたっている。敷地内にある「碑銘」に由来が書かれていました。